1: 以下、名無しにかわりまして無内定速報がお送りします 2014/00/00 00:00:00 ID:nntsokuhou

日本人,価値観

「努力」についてまわる高度経済成長期の呪い

「努力は必ず報われる」の残酷さは「報われないならそれは努力ではない」にある。

「努力」。この言葉をやたらと礼賛する人がいる。努力さえすれば必ずなんとかなる。人間、努力が肝心だ。努力せよ、努力せよ、努力せよ……。

私も努力は大切だと思う。しかし、[努力すれば必ず何とかなる]とは思っていない。努力は、成功するための必要条件かもしれないが、十分条件ではない。世の中には、無駄な努力を積み上げた人、非効率な努力を続けた人、見事な努力をしたのに不運にやられてしまった人がたくさんいる。だから私は「努力はしたほうが良い、よく選んで、よく考えて」とは思うけれども、「努力すれば必ず報われる」という思い込みには与したくない。

 なにより、冒頭のツイートが示しているように、「努力は必ず報われる」という思い込みは、「報われていないならば、それは努力が足りないからだ」という決めつけと表裏一体の関係にある。この考え方の人間は、報われていない人間、満足していない人間を無意識のうちに疎外する。…

「努力がほぼ必ず報われた時代」の置き土産

問題は、誰もが「努力は必ず報われる」と錯覚しやすい時代があったことだ。

高度経済成長期の日本では、「努力はほぼ必ず報われた」。敗戦後の貧しい日本は、その貧しさから立ち上がり、収入も生活水準も右肩上がりだった。この時代の人達が努力を重ねたことは疑いないし、その努力の土台のうえに、今日の繁栄があることを忘れてはいけない。人々の努力は収入に、生活水準に、必ず反映されているかのようにみえた。「あの頃は、みんな頑張って働いて、みんな豊かになっていったんだよ。」。

この「努力が必ず報われていた」かのようにみえる昔話も、少し角度を変えてみると違って見える。

そもそも敗戦直後が貧しすぎた。日本が空前の豊かさに疾走する直前に、日本は空前の貧しさに見舞われていた。株価もそうだけど、底辺からスタートすれば、何事も上向きやすい。心理的にも「頑張ったら上手くいった」と思いやすい。戦後世代の「努力が報われる」感の原点には、貧しすぎる敗戦からのスタートがある。

そのうえ、朝鮮特需なども手伝って、社会全体が急激に変わっていった。社会は、全くダメな努力しかできなかった人も、実際には努力しなかった人も、(多少の差はあるにせよ)ほとんど全ての日本人を強引に引っ張り上げた。金持ちも、貧乏人も、働き者も、怠け者も、冷蔵庫を手に入れ、テレビを手に入れ、エアコンを手に入れた。…

一昔前の世代のなかに「努力は必ず報われる」と思い込んでいる人がたくさんいるのは、当然だと思う。実際、努力は必ず報われていたのだ!どんなに拙い努力しか出来なかった人間も、冷蔵庫を、テレビを、エアコンを手に入れた。補足するなら、「努力の質・量とはあまり関係なく、報われたと体感しやすかった時代」だ。社会全体がエスカレーターに乗っていたから、努力の下手な人や努力を怠る人も、白物家電やメディアの恩恵に与れた。もちろん、人間の生は苦しみや葛藤を伴うものだから、努力の質・量とは無関係に「俺は。努力した。そして報われた」という主観的印象が残るだろう。当該世代は物的に貧しくスタートしたから、物的充実と人生の充実を近似しやすいという点でも“有利”だった。

そんな社会全体のエスカレーターが止まってしまった。

努力を怠る人はもとより、努力の下手な人はあまり報われなくなった。…

いわゆるロストジェネレーション世代にしても、さらに下の世代にしても、もう、努力だけでは報われないと骨身に染みてわかっている。文化資本や社会関係資本やコミュニケーション能力によって、個人の努力の成果や効率性は大きく左右されるようになった――ほとんどの人間が焼け野原同然から出発した“あのころ”とは違うのだ!――。努力の重要性が減じたわけではないけれど、ただ努力を積み上げただけでは報われない。運も要る。…

にもかかわらず、世の多数派を占めているのも、発言力のあるポジションを占めているのも、エスカレーターに乗っていた世代だ。彼らは自分達の実体験をもとに、「努力すれば必ず報われる」と発言する。いや、発言しないとしても、価値観や規範意識として、無意識のレベルに染みこんでいれば、そのような価値規範は言動の端々に現れる。

努力だけでは報われないと知っている世代からみれば、たまったものじゃない。「努力すれば必ず報われる」と思い込んでいる人々は、「報われていないお前らは、努力が足りてない」とも思い込んでいるわけで、努力が必ず報われるとは限らない世代は、努力が必ず報われていた世代の非難がましい意識に晒されるようになった。こうした無意識の疎外は、努力が必ず報われる世代が認識を改めるか、寿命によって発言力を失うまで、社会の中心に居座り続けるだろう。…

21世紀の壮青年は、努力が必ず報われるとは限らない、競争の時代に晒されていると同時に、先行世代から投げかけられる「報われていないお前らは、努力が足りてない」という疎外にも晒され続けている。…

「努力が必ず報われた」時代は、そりゃ良いものだっただろう。しかし、エスカレーターの時代が終わった以上、個人も、社会も、新しい時代に即したかたちで「努力」を再評価しなければならないと思う。ところが、一度インストールされた価値規範はそう簡単には塗り替えられないから、このような齟齬、このような葛藤が、社会のあちこちに残っている。「ある時代において、たくさんの人を力づけた価値規範や思い込みが、別の時代においては、たくさんの人を疎外することがある」という一例として、記憶しておくべき教訓だと思う。…

全文はソースで:http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140219/p1

このニュースに対するTwitterでの反応











このニュースの感想

先日取り上げたこちらの記事、21コメント頂きありがとうございます。

【参考記事】無内定速報:「努力は報われる」思考が大好きなやつの心理wwwww

日本人が大好きな「努力は報われる」という言葉。この価値観はどこで根付いたのか、それを解説しているすごく良いブログ記事を見つけたので取り上げてみました。
自分の中でも高度成長期~バブル世代が押し付けてくるマイナスな事象に対する「もっと努力しろ」「努力が足りない」という価値観に対し常日頃から違和感を感じていました。

この違和感を自分の中でもイマイチ上手く言語化出来ていなかったのでソース元の記事を読んでスッキリしました。

就活でも同じ様なことが言えるのかなと。例えばバブル世代で楽に就職出来た人達が今の就職難の若い人を見て「努力が足りないからだ」とか「情けない」とか言うのと。

バブル世代のような売り手市場の時に就職した人達はもちろん努力はしているでしょうが、もしかしたら好景気という時代的背景による恩恵が大きかったのかもしれない。その時の価値観を引きずって「お前が就職出来ないのは努力が足りないからだ」と言うのは買い手市場で就職に苦しんでいる人の首を絞めるだけですよね。

>しかし、エスカレーターの時代が終わった以上、個人も、社会も、新しい時代に即したかたちで「努力」を再評価しなければならないと思う。

何が言いたいかというと、上記のように言葉や価値観の定義もその時代時代で意味が変わり得るのではないかということです。前時代の価値観や言葉の定義を引きずっていては時に思わぬ所で知らず知らずのうちに人を傷つけているかもしれない。言葉や価値観も時代背景に柔軟に対応していきたいですね。(真面目)


1001: 以下、名無しにかわりまして無内定速報がお送りします 2014/01/01 01:23:45 ID:@nntsokuhou